自分の内面を見ることが嫌いな私が『デミアン』を読んでみたので感想文を書いた。

私は昔から、自分の内面を探ることが苦手。キライというか、意図的に避けて来たと言ってもいいくらいです。

就職活動の〇〇診断系のものは、なんでこんなものでそんなことがわかるのだと思っていたし、私にとっては、『質問内容から「これに1をつけたらこういう結果になるんだろうな」などと推測するお遊び』でしかありませんでした。

自分を計るって怖くないですか?自己啓発本が嫌いなのもここからきてると思うんですけど、人に「あなたはこうだ!」と決めつけられるのも嫌だし、「こうすればよくなります!」とかって思い込まされるのも嫌なんですよね。

自分自身は、その時々で変化していると思いたい。人の作った道の上を歩くことで大成することはおそらくあり得ない。性善・性悪はあったとしても「核の部分はどうあがいても変えられません」ということはないと思っていて、「変わりたいと思えば人は変われるし、人が変われば未来も変えられる」派なので。理想論と言われるかもしれませんけど。

そんな私がひょんなきっかけで「デミアン」を読むことになって、「自分の内面を知ることって意外と役に立つのかも。」なんて思えるようになったので、今日はそのことを書いてみたいと思います。


1.「デミアン」とは

まずは簡単にあらすじをば。

物語の主人公・シンクレールは、幼いころから世界が二つあることに疑問を抱いて生きていた。二つの世界とは、光の世界(家族や正義のある秩序が保たれている世界)と闇の世界(裏切りが絶えず苦しみのある暗い世界)だ。

シンクレールはある頃から、自分のついた嘘によって始まったいじめに悩まされているが、そのいじめは転校生、マックス・デミアンの働きかけにより、解消される。

それをきっかけとして二人は親交を深めていくが、シンクレールはデミアンから受けた影響により、葛藤を抱えることになる。

神とは何か、自分の生きる意味とはなんなのか。悩みながらも生きていく様が描かれる、自己と自我の探求の物語。


2.「はしがき」から感じたこと

われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。(はしがき)

冒頭では、内面を探るのが苦手だの、診断が嫌いだのと申した私ですが、やってこなかったわけではないんですよ。

就職活動やオーディションでは自己PRや自己紹介はほとんど必須だったし、やらざるを得なかったこともあって、しんど!しんど!って独り言いいながらも無理矢理に、診断シートみたいなのを埋めてみたりしました。

ただ、いくらやったところで、埋めることが目標になってたところが強くて、そうなると、それは「作られた私」という感想しかなかったし、事実そうだったので、就職活動は筆記では受かっても面接で軒並み落ちました〜あはは〜!それで文系とは程遠いIT業界でSEとして働くことになりました。

ただ幸運だったのは、思いのほかIT業界が肌にあっていたので楽しかったことかな!

とにかく、自分を探し出すより作り上げる方が楽じゃん、と思っていた私なので、このデミアンの話は軽く衝撃でした。

お互いは理解しあえても自分は自分にしか解明できない・・・?

それではもしや、本の内容や診断の結果を理解できても・・・自分のことはやっぱり自分でしかわからないんじゃん・・・?!!!!

ゑ?

俺たちはなんのために診断をしてきた?


3.本文から感じたこと

本文中には何度か、自分自身を探りなさいといったニュアンスの言葉が登場します。例えば以下。

私は、自分の中からひとりで出て来ようとしたところのものを、生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難であったのか。(143ページ)

ここでは、「自分の中から出て来た」欲望に忠実に生きてみただけなのに、なぜかそれが困難であった、と提起されていますよね。自分の欲望をきちんと汲み取っておくことは前提ですね。

これは、夢を追い掛ける人に割とあるパターンなのではないかな。

かくいう私も、声優という漠然とした夢を追いかけていたころはこれでした。なんでだろうってずっと思ってたんですよね。自分で決めたことだから楽しいはずなのに、なんでかレッスンが意味のないものに感じたり、苛立ちを覚えたりするんだろう、先のことばかり不安になるんだろうって。

さて、本文には続いて、こうも書かれています。

われわれがだれかを憎むとすれば、そういうにんげんの形の中で、われわれ自身の中に宿っているものを憎んでいるのだ。われわれ自身の中にないものは、われわれを興奮させはしない(168ページ)

つまりそういう気持ちを感じるのであれば、ここに書かれている通り、「憎むとすれば自分の中にあるものを憎んでいる」ことに他ならないのかなと。私であったら、レッスンに意味を見出せない自分に嫌気がさしていたということだったのかもなということです。

われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。(168〜169ページ)

それでも諦められなかったり、他の形で続けようとするのは、きっと非現実ではない自分の内から湧き出た気持ちを知ってしまったから、戻れないということになるんじゃないかな。

今現在、誰かに認められていなくたって、脚光を浴びていなくたって、時には罵声を浴びせられたり嘲笑されたって、やっぱり続けてしまうのは、それに見合った何かを、幸福と思ったタイミングがあったんじゃないか。

自分のうちから出たものを正確に掴みとって育ててあげるのは自分にしかできないと思うんですよね。内面を見つめてこなかった私も、今更ですが、あの頃はどうだったかな、なんて、ラフなところから考え直しはじめました。


4.まとめ

私は、自分で言うのはなんなんですが、なんとなくで物事を人並みにやってきてしまうタイプで、ただ、それゆえにオリジナリティに溢れるものは何一つ作れなかったり、何も手に残っていなかったりします。(運動は信じられないほど苦手なので、そもそも除きます。笑)

これ!って決めたものが一つあれば、それだけを特出させて頑張る気持ちになれるのですが、それがないのでふらりふらりとしてしまったり。自分にしかない何かが欲しくて、人の真似をしたり、これやってみたらと言われたことにはチャレンジしたりして、なんだか虚しさが残ってしまって。

それと、人のためと思ってやったことは案外無駄だったり伝わってないことも多くて、これも本文の「大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え」の通りで目に見えるものだけで判断して自分の思い込みで行動した結果の意味のなさだったり、押し付けになっていただけなのかもなーって今では思います。そりゃ嫌だよねそんな自己満足なアドバイスとかさ。うん。ごめん。

また、ヘッセのいう「内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させない」と言う性質は、日本人は結構な割合で当てはまると思っていて。

言わないと伝わらない・・でも・・・だからってこそこそ匿名性の高いSNSで呟いて発散されてもわかるわけない〜〜〜〜!!直接言え〜〜〜〜!でもなんでも言えばいいわけじゃないよ〜!何か言いたいなら怒り任せじゃなくて根拠示して討論しような〜!一方的じゃダメだからね〜!(ブーメラン)

突然の砕け口調失礼しました。

でも、これらの全部を通して、自分も日本もみつめなおせたし、海外の人たちと交流して広い視野で何かしらの仕事がしたいって言う今の目標に辿り着けたから、まぁ結果オーライかもしれない。

「何かしら」の部分は、自我にあたるからまだこれ!ってものは見つけられていません。今も内面を見ることをちょっとずつ頑張って探し中。だけど、声を使って何か表現したいな。多分、自分をとおして楽しい気持ちを伝えたいって言うところは、何をしていてもブレてないと気がするから。

まだまだ自分も他人も理解しきれていないけれど、内面を見ると言うのも重要だなと思えたので小並感溢れる感想文として認めました。


◆参考文献◆

ヘルマン・ヘッセ作/高橋健二訳「デミアン」新潮文庫

未読の方はぜひ一度、目を通してみてください。読んだことある方も、もう一度読み返したら、何か新しく気付くことがあるかも。

ちなみに読むきっかけとなったのは、もちろん世界のスター、バンタンです。


BTSは常に自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。こんな私でも何かできるんじゃないか、って思わせてくれる。

僕たちに見せてよ、僕たちも見せるから(Magic shop)

って優しすぎない?泣いた。

たまにだけど嫌になるよ 今が少し怖くなるんだ(Lights)

・・・同じ人間だもんね・・そうだよね・・同じ・・・泣くわそんなん。

全曲最高がすぎるけど、新しめの曲からチョイスすると、日本語で理解可能な「Lights」、黄金マンネジョングクのソロ「Euphoria」、そして涙腺が緩む「Magic shop」はぜひ聞いて欲しいです。日本語訳してくださっているサイトさんがたくさんあるのでぜひ見て欲しい。

世界の隅っこから愛をこめて、バンタン、고맙습니다.


0コメント

  • 1000 / 1000